
【DISPATCH】憧れと想造
随分と昔の話になるが、
イタリアのモンテベッルーナ(Montebelluna)へ行った時の思い出と経験した強い印象を忘れる事がない。
ベネチアから列車に乗り目的地のモンテベッルーナまでどれくらいの時間を要したのかは記憶にないが、
当時、スマホもなく、携帯電話さえなかったころ、ベネチアの大きな駅で切符を買い片言の英語で乗り場の番号だけを聞いて不安ながら飛び乗った列車で到着したモンテベッルーナの駅は無人で人もなく、公衆電話に貼り付けられた「TAXI」の番号に電話をして、いわゆる白ナンバー(もぐり)のタクシーに乗って行った先は、
ワイナリーの中にある小さなホテル。
当時はカメラにも興味がなかったので残っているものと言えば記憶だけだが、モンテベッルーナの駅、迎えにきた白色のベンツ、緑におおわれたワイナリーに白とレンガ色の小さな建物の全てを記憶している。
ホテルと言っても、日本でいうハイツのような、真ん中に階段があり左右に部屋の扉、1階と2階と合わせて4部屋しかない建物だった。僕はその2階部分の右側の部屋に宿泊した。
不思議な事に部屋の中の様子の記憶は全くない。
ワイナリーの入り口近くにあった、キッチンの軒にある長いテーブル。優に30人以上もゆったりと座れるオープンテーブルで食事をした。理解できないイタリア語の中で日本人は自分ひとり、イタリア、ドイツやクロアチアなど主にヨーロッパの人々と一緒にワインをのみ楽しい時間をすごした。
あの時間を忘れる事ができず、いつも常にどこか心の隅で自然に囲まれた場所で暮らしたいと思い続けている。
日本であのような規模で、何もない、あるのは草原と牧場と葡萄畑の中で暮らすのは叶わぬ夢に終わりそうですが、自分の大きな夢と考えを目標にするには元気と勇気が湧いてくる。
わちゃちゃむの、ABOUTのページ https://wachachum.com/about/ に書いた、「犬と人を愛するちゃむのwachalandを創ること」とは、このことです。
芝生の中にある、ドッグランじゃなく、大きな大きな庭と30人でも座ることのできる長いテーブルに、仲の良い友達と走り回るわんこ見ながら、ゆっくりと時間をすごす場所。
暗くなり、ワインで程よく酔いもまわれば、敷居や壁のない大きなリビングで男や女や犬の区別なくくつろげる空間。
キーボードを叩きながら目を閉じれば、それがどのようなものなのかがはっきりと浮かんできます。
幼い頃から、自分を閉鎖的だと分析していた。
孤独や孤立を望んでいるのではなく、ファミリーだけが雑音に影響を受けない場所を作りたいと思っていたのは小学生の頃からです。そして今はレスターという相棒と家族と仲良しさん、ファミリーとの時間を穏やかにすごせる場所を作りたい。
何年かかるのかは、わかりませんが、
もし、このわちゃちゃむが続いていれば、きっといつかそんな時がくると思います。
あの、モンテベッルーナで見た景色のような居心地の良い場所を美味しいチーズとともに・・・
永井 真理子
こんにちは!世良さんの昔の記憶と共に心の記憶、思い、憧れ、想造を垣間見ることができました。若い頃、世界中を飛び回っておられたお話を少し聞きましたが、イタリアの記憶が現在の貴方の行動や心の様を膨らませているのを感じとることができました。
私は随分年老いて来ました。夢、希望、前向きという言葉も風と共に通り過ぎて行くこの頃です。でも、今、貴方の便りを読み、私も若い頃見ていた夢や情熱を思い出しています。平凡な家庭で子育てをしながら夢見ていた事があります。木で物を創るということでした。
自然な中、長野にアトリエを持って暮らし木工をしたいと夢見ていました。実行出来たかもわかりませんが、現実には都会の小さな家のアトリエで、木と向き合っていました。個展で観ていただき、共感していただいたり、共鳴していただくことが、小さな幸せでした。
沢山の木工品を創りました。もっとどうにかしたかったのか、てきたのか?今、自分に投げかけています。年には、勝てないと言いますが、木工という作業に私の体がついて行かなくなりました。あんなものが創りたい、出来るのにと頭の中をよぎるこの頃です。いいお話ありがとう❤️
wachachum
永井さんへ
先輩からコメントをいただけることへ感謝です。
そうですね。時と場所の思い出はイタリアのみならず多くを海外から得ました。言葉の壁がある意味、自分の心を解放し、ストレートな外国人の気性の方が曖昧な表現よりもあっていたのかも知れませんし、言葉が通じない分だけ、自分をわかってもらう努力、短絡的な発言にならず、考えて話すことを守っていたのかと思います。いづれにしても、海外に行くようになって大きく変われた自分がいました。
年齢には誰しも敵わないですが、その分だけ経験や知識、何よりも心は育っていると思います。体力的には厳しいでしょうが、お家に飾られていたあの作品を見れば、どれほどの想いで木と向き合って来られていたのかを感じ取れますし、樹木に囲まれた長野にアトリエを持ちたいと思われたことをよく理解できます。少し失礼かと思いますが、自宅のあの小さなアトリエであんなに大きな作品を創られたことに驚きますし、逆に情熱を感じました。まだまだ道具は現役です。あんなもの、こんなもの、を創りたいという欲を少しだけ小さな木々にぶつけて見てはいかがでしょうか・・・?
無理をする必要はなく、ちょっとした時間の合間にもう一つ、もう一度、楽しみを見つけられるように思います。